自由民権運動を広げたはちきん芸妓
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土佐は自由民権運動が盛んな場所だとされており、それは板垣退助の故郷であることも大きく影響していますが、民衆に自由民権の思想が広まったことには、料亭や芸妓、お座敷遊びが影響していると言われています。庶民に自由民権運動を訴える手段として「民権の唄」が作られ、それを広めたのがはちきん芸妓だとされております。当時のまっすぐな気持ちを現代へ紡ぐ役割を担ってまいります。
なぜ民衆に自由民権の思想が広まったのでしょうか?
料亭・芸妓・お座敷遊びが、自由民権の思想を広める役割を担ったと言われています。
自由民権運動活動家のひとりに、植木枝盛という人物が居ます。板垣退助と同じく、高知出身。土佐藩の中等の藩士直枝(なおえ)が父。板垣退助の演説に触発されて上京を決意します。勉強熱心な方だったようで、あらゆることを吸収し、主に執筆することで自らの思想を論じられたようです。庶民に「自由民権運動」を訴える効果的な手段として「民権数え唄」をつくりました。銚子(千葉県)の民謡である「大漁節」のメロディーに乗せた20番まであるものです。
また、同じく高知出身の活動家である安岡道太郎も「よしや武士」という都々逸をつくりました。メロディーは、皆さんがよくご存知の「よさこい節」と同じものです。
民権の唄を広めた「はちきん芸妓」
これらの唄を、民衆に広めた役者が当時の芸妓達です。そして、当然ながら場所は料亭となるわけです。芸妓達は、お座敷で披露する「お座付き」の中で「民権数え唄」や「よしや節」などを唄い・踊りました。風刺も入った歌詞、馴染み深い曲の「替え唄」でもあったのでお座敷で人気を博し、お客さまも芸妓達と一緒に口ずさんだり踊ったりしたようです。
もともと「お酒好き」「議論好き」の土佐。「自由民権運動」というお題は、格好の「酒の肴」であったことでしょうし、その「自由民権運動」の思想が盛り込まれた唄が
広まらないわけがありません。
そして、土佐の女性は「はちきん」。「男性の4人前」だと言われていますが当時の芸妓も、例に漏れず「はちきん」だったようです。その「はちきん芸妓」達が意気揚々と「民権数え唄」や「よしや節」をお客さまと唱い踊り明かした様子。さぞ、賑やかなことだったと思います。
はちきん芸妓の代表「愛吉」さん
日本では「特別地方消費税」という税金制度が2000年3月31日まで施行されていました。この「特別地方消費税」の元々は、明治時代の「地方税規則」にある「雑種税」のようです。「雑種税」は、料理屋・旅籠屋・芸妓などに対して課税することが認められていました。
高知市稲荷町に「松鶴楼」という料亭がありました。その「松鶴楼」には、「愛吉」という大変利発な芸妓が居りました。愛吉は芸妓仲間の君鶴・亀子・八重松・若常らを率いて芸妓税値上げ議案の高知県議会を傍聴したそうです。この傍聴は、高知県議会初の女性傍聴・第一号でした。また愛吉は、「土陽新聞」に「芸妓諸君に告ぐ」と題した論文を投書。その内容は「芸妓蔑視」に対する抗議だったそうです。
民権かぞえ唄
自由民権運動。当時のお座敷を想像しながら、濱長芸妓・舞妓・仲居が披露いたしました。2013年・第3回「風薫る土佐をどり」にて。