21.千代の富士関 2025/06/02 横綱千代の富士関(左)、二代目若乃花関(右)と筆者(昭和57年)先月、千代の山関と佐田の山関の思い出を続けて書きましたところ「千代の富士のことはどうして書かんがぜよ」と言うお客さんがいらっし…
22.北の富士関 2025/06/02 綱時代の北の富士関(中央)と当時の九重親方夫妻大相撲の九重部屋はいま、元千代の富士関が継いでいますが、この部屋は私ども夫婦がたいそうひいきにしておりました元千代の山関が興した部屋でございま…
23.「涼しさ」で売る 2025/06/02 旧「濱長」の正面入り口。玄関横の小さな庭にも涼しさを感じさせる工夫(高知市南はりまや町)戦争が終わって間もなくの昭和二十年代は、どの料亭にも冷房施設はありません。私どもの店が高知市丸ノ内か…
24.日本一の本部長 2025/06/02 首相秘書官になった金沢さん(前列右から3人目)の送別会で。金沢さんの左が筆者(旧「濱長」)昭和四十八年八月から一年間、高知県警本部長をされた金沢昭雄さんは、のちに警察庁長官にまでなっただけあ…
25.「長生苑」 2025/06/02 私が高知市南はりまや町の「濱長」と背中合わせの電車通りで焼肉店「長生苑」を開いたのは昭和三十七年でした。当時、四人の子供は学校や嫁ぎ先の関係ですべて東京住まい。ある時、上京した私を二女の賀…
26.鏡川べりへの移転 2025/06/02 昭和61年、鏡川べりに移転オープンした現在の「濱長」(↑印)旧店舗は(↓印)のところにあった(高知新聞社提供)私どもの店が現在の高知市唐人町に映ったのは昭和六十一年ですが、それまでの南はりまや…
27.わが夫濱口八郎 2025/06/02 「おかみの日記」もいよいよ終わりです。これまでは、お客さまとの思い出を中心に書かせていただきましたが、最後はお許しを願って私の亡き夫、濱口八郎の自慢話を少々させていただきたいと思います。 そ…
28.「濱長丸」の復活 2025/06/02 鏡川をゆっくり進む濱長丸平成元年に亡くなった夫、濱口八郎が願っておりました屋形船「濱長丸」が復活し、店の前の鏡川に浮かんだのは六年十月でございました。昭和二十年代から四十年代にかけて、私ど…