1.長屋でスタート 2025/06/02 窪川町松葉川の農家の娘だった私が、夫の濱口八郎と結婚したのは昭和十年一月。濱口が二十三、私は二十一歳でした。以来、苦労を分け合ってきた主人は平成元年に亡くなり、二人で始めた料亭「濱長」もい…
2.帝国軍人の妻 2025/06/02 昭和十八年八月、召集された夫・濱口八郎が朝倉の連隊に入ってすぐ、面会に行った時のことです。おぶっていった娘が、小さな手であめ玉を主人の口に入れました。口をもぐもぐさせながら、主人も本当にう…
3.「濱長」の誕生 2025/06/02 昭和二十年八月十五日に終戦になると、主人はすぐ帰ってきました。 外国の軍隊が進駐してくると、女性はひどい目に遭う。それを防ぐには、料飲店を開き、飲んだり食べたりするところをつくってやるのが一…
4.丸ノ内のころ 2025/06/02 高知市丸ノ内当時、店にいた芸者さん。みんな島田に結っていた。丸ノ内の店では新前おかみとしての内面的な悩み以外にも、困ったこと、悔しい思いをしたことがたくさんありました。 開店して間もなくのこ…
5.義父の教え 2025/06/02 家族、全従業員が集まって新年宴会。正面真ん中が夫・濱口八郎(南はりまや町の旧「濱長」)昭和二十三年、店は高知市丸ノ内から南はりまや町に移転しました。実はその時、最初は旧八軒町(現・本町二丁…
6.仮谷さんの涙 2025/06/02 昭和二十三年、南はりまや町に移転したころには、県議会や国会の先生方もよくお見えになり、私も政治の世界を裏側から垣間見る機会が多くなりました。 知事が桃井直美さんから川村和嘉治さんに代わったの…
7.池田さんの電話 2025/06/02 池田勇人さん(前列真ん中)、塩見俊二さん(同右端)を囲んで。後列右から3人目が筆者(昭和31年・濱長)参議院議員で厚生大臣、自治大臣にもなった塩見俊二先生は、まだ大蔵省に在職のころからお店にお…
8.塩見VS坂本 2025/06/02 塩見俊二さんらを囲んで開かれた「さんご会」のパーティー塩見俊二先生にとっては二回目、昭和三十七年の参議院選挙は大変でした。全国区だった先生が高知県地方区へ回り、地方区選出の社会党、坂本昭先…
9.塩見さんと酒 2025/06/02 塩見俊二先生は本当にお酒が好きで、お強うございました。私どもの店でも、夜が明けるまでお飲みになることはしょっちゅう。 よく「湯のみでやれば酒でも茶になる」とおっしゃっていましたが、その言葉ど…
10.秘書の森下さん 2025/06/02 塩見さんの秘書・森下茂兎美さん(右)と筆者(旧「濱長」玄関前)塩見俊二先生との思い出を書くのに、最初の秘書だった高岡郡日高村出身の森下茂兎美さんのことに触れぬわけにはまいりません。それは、…