株式会社濱長

和食は高知市の伝統を受け継いできた料亭 濱長 | 女将の間

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女将の間

三代にわたって守り続けてきた女将

OKAMI

初代女将より四代にわたって守り続けている料亭として、これまでの歴史や初代女将の日記、三代目女将の日記などを掲載しています。昭和12年おでん屋として創業しましたが、半世紀以上営業してきた平成13年には一度歴史の門を閉じました。その6年後、平成19年には多くの方からお力添えをいただき、気持ちを新たに再スタートを切り、伝統文化を守り抜く使命を持って活動しています。

南国土佐は、美味しいお酒とたくさんの食材に恵まれたところ。そして、「人の心があったかい」と言われます。 酒・食・心。この三つが土佐の宝だと思っております。私の祖父母が一代で築いた、この料亭濱…

女将・濱口実佐子より 今話題のアイスバケツチャレンジは、筋肉の委縮や筋力の低下を来す大変重篤な難病疾患「ALS:筋萎縮性側索硬化症」を支援するためのキャンペーンです。 いろいろと賛否のお考えも…

窪川町松葉川の農家の娘だった私が、夫の濱口八郎と結婚したのは昭和十年一月。濱口が二十三、私は二十一歳でした。以来、苦労を分け合ってきた主人は平成元年に亡くなり、二人で始めた料亭「濱長」もい…

昭和十八年八月、召集された夫・濱口八郎が朝倉の連隊に入ってすぐ、面会に行った時のことです。おぶっていった娘が、小さな手であめ玉を主人の口に入れました。口をもぐもぐさせながら、主人も本当にう…

昭和二十年八月十五日に終戦になると、主人はすぐ帰ってきました。 外国の軍隊が進駐してくると、女性はひどい目に遭う。それを防ぐには、料飲店を開き、飲んだり食べたりするところをつくってやるのが一…

高知市丸ノ内当時、店にいた芸者さん。みんな島田に結っていた。丸ノ内の店では新前おかみとしての内面的な悩み以外にも、困ったこと、悔しい思いをしたことがたくさんありました。 開店して間もなくのこ…

5.義父の教え

2025/06/02

家族、全従業員が集まって新年宴会。正面真ん中が夫・濱口八郎(南はりまや町の旧「濱長」)昭和二十三年、店は高知市丸ノ内から南はりまや町に移転しました。実はその時、最初は旧八軒町(現・本町二丁…

昭和二十三年、南はりまや町に移転したころには、県議会や国会の先生方もよくお見えになり、私も政治の世界を裏側から垣間見る機会が多くなりました。 知事が桃井直美さんから川村和嘉治さんに代わったの…

池田勇人さん(前列真ん中)、塩見俊二さん(同右端)を囲んで。後列右から3人目が筆者(昭和31年・濱長)参議院議員で厚生大臣、自治大臣にもなった塩見俊二先生は、まだ大蔵省に在職のころからお店にお…

8.塩見VS坂本

2025/06/02

塩見俊二さんらを囲んで開かれた「さんご会」のパーティー塩見俊二先生にとっては二回目、昭和三十七年の参議院選挙は大変でした。全国区だった先生が高知県地方区へ回り、地方区選出の社会党、坂本昭先…

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